事実と真実 [日記]
最近、両者について色々考えます。
いずれは、そんなテーマで曲を作ったりすることになるだろうから、気ままにブログに乗せてみるかな、なんて。
よくこんなことを言う人を見かける。
「真実は存在しない、あるのは事実だけだ。」
この言葉を補って理解すると、次のようになるのだろう。
「普遍的な真実とその理である真理はなんて存在せず、その時々の事実があるだけだ。
それを人はその時々で事実を真実と思い込み、その事実の要因を真理と結びつけるだけだ。」
唯物論、特に機械論は、人間の心も含め、全ては物質による物理現象のみにより成り立つとするが、結局このような思想からは、真実と真理について上記のような結論が導き出されるのだろう。
人智を超えた、内容でありどのような議論を通しても決して結論は導き出せないのだが、俺は創造論の信奉者であり、唯物論的な見方は否定する。やはりキリスト教徒なのでね。しかし、全宇宙が数千年で、できたとか、人間が突然土から出来た一人の人間と、そのあばら骨からできたもう一人の人間から誕生したという、創造科学については賛同しないし、そもそもそれは科学ですらないと思う。
(この辺の解釈についてはまた別途。)
そのような立場に立って、事実と真実、真実の理である真理について考えてみた。
全宇宙と世界が何に起因して誕生したか、ということが重要なことである。
俺が好きな欧州の思想家は、「宇宙と世界の誕生は全ての原質たる存在の衝動によった。」と考えたが、俺もそのように思う。
全ての原質たる存在は、その性質と活動の原理に基づき、全宇宙と世界を生み出したのだと思う。
人間が「神」と呼ぶ存在は、この「原質たる存在」に他ならないのであり、彼は彼自身にあって生み出した全宇宙と世界との連結、相互作用を欲した。人間の言葉で言えば、「愛した」わけだ。
したがって、人間が存在する宇宙と世界の中で、「原質たる存在」から発しない存在、そこから離脱した秩序はない。
結局、「原質たる存在」の本質は、人間の言葉で言えば、自らが自らにあって生み出したものに注ぐ「愛」である。また、生み出したものを自らの性質たる秩序によって制御しており、その摂理は「真理」と呼ばれ、そこに基づく事象は「真実」と呼ばれるのであろう。
人間が、少なくともいつの時代も正しいと考えてきた、「お互いに愛情を持って道徳的に生きよう。」というものも、それは「原質たる存在」の性質に起因しており、それに先立つものでは決してないが、我々が「原質たる存在」によって、生み出された宇宙と世界に生きている以上、それは普遍的であり、「真理」に属するものだと考えられるのであろう。
人間が「事実」として受け止めるものは、時として「真実」と一致するが、時して一致しない。
人間が「事実」が起こった要因として分析するものは、時として「真理」と一致するが、時として一致しない。
それは、人智が「原質たる存在」の域までは決して及ばないためであり、全ての中の僅かな部分を理解することしか出来ないからだ。
例えれば、
普遍的な真実は、山の頂から海まで続く雄大な大河の流れであり、人間が知覚する事実は、途中で起こるごく小さな渦に過ぎない。
小さな渦は、時に大河の流れに逆行するように見えるが、しかし大河の流れによって生み出されて、その中にある。
人間は、大河の流れ全てを理解することはできないが、それでも小さな渦の中だけを見て、大河の流れを否定してはいけないのではないか…。
源流は、渦の存在有無に関わらず、確かにそこにあるんだ。
俺はそんな風に思う。
ライブ終了
我がバンドInVessのライブが12/10終了しました。
たくさんのお客さんにお越しいただき、今更ながら幸せだな~と思いました。
しかし、まぁ、色々辛いなと思うこともあるわけです。
今は日記のメインはMixiに移しているから、このBlogには少々本音を書いてみたりする…。
ホントいいメンバーに恵まれて、いいお客さんに恵まれて、ホント幸せだな~と思うわけなん
だけど…。
なんて言うかな~、いつもライブ終わって思うのは、歌を曲と歌詞を書いた瞬間の気持ちを込めて
歌い上げるって難しいな~って思う、それがライブでできていないなって思ったときに、なんだか
やりきれない気持ちになる。
そして、音楽をやる以上は、自己満足だけじゃなくて、ライブとしても音源としても、商品価値のある
音楽をやりたい!! と言ってる割に、自分のやはり捨てられない嗜好や我がある、俺は一体何がやりたいんだ?って考えると、頭がぐるぐる回って、結構辛くなります。
自分のバンド内での役割は、ボーカル/ギターは勿論、バンドの道づけを行い、バンドをプロデュースすることだと思う。なんだか、力不足を感じるな・・・。
今日のライブもそんな感じです。
歌が上手いとか下手とか、演奏が上手いとか下手とか、それも重要なこと。でも何がやりたいか色々考えから少しは向上しないと、バンドとしていいレベルには持っていけないと思うんだな。
はっきり言えば、今やってる仕事(普通のリーマン)は嫌いじゃないけど、それは自分に素直になって考えれば、音楽を生業にして食ってくのはなかなか難しいからです・・・。
そりゃ、音楽で今以上の収入を得て、食っていけるんだったら、いつだってリーマンなんてやめるさ。
安定だけ求めて、なぁなぁ、まぁまぁで生きていく人生なんていらね~。
とはいえ、俺は状況を打開するための明確な戦略と戦術が描けているのか・・・。
そういわれると・・・。
こんな人間はステージに立つべきじゃないのかな~。
そんな風に思う事もあります。はぁ、気分的に結構きついです。
自我と自主性 [日記]
今日は、ちと小難しいことを・・・。
昔から思うことだが、世界中にある道徳や宗教は、矛盾した心を人間に要求しているように思える。
その矛盾とは、人間を人間足らしめる自我と自主性についてであるが、一言で言えば、道徳的に
生きるとは、
「絶対的自我の放棄を行いかつ、自主性の獲得による能動的に活動する」
という行動をさす。
なぜなら、「絶対的自我」は「自己中心主義」に結合し、「自主性の放棄」は意思の放棄であり人間を無能化させる。
それゆえ、人間が人間らしく道徳的に生きるためには、この二つの条件を満たすことが必要となる。
一方、自我と自主性について辞書で意味を調べると。
・自我=意識や行為をつかさどる主体としての私。
・自主性=自分の判断で行動する態度。
この言葉の意味から分かるように、自我を完全に放棄しつつ、自主性を保つことは、不可能である。
自我を放棄することは活動・意思の主体たる自らを放棄することであり、そこに自らの自由により意思し活動する自主性は存在し得ないからだ。
この自我と自主性は、人間以外の動物であれば、「本能」によってイコールで結ばれており、分離
不可である。
故に、動物は自らと自らの種や子孫のためのみに、本能の赴くまま活動することを見ればそこには
本能たる指針に沿った自己中心性とそこから発する自主性によって、それらが活動していることは
一目瞭然である。
動物といえども、親は子を可愛がり、交尾相手を重宝しているが、これは自我の放棄により、
相手に尽くす行為ではなく、飽くまで自らに主体があって、自分に属するものを大事にするという
行為に過ぎない。しかし、そういった範囲でなら「愛」という存在は確認できる。
人間が他の動物とことなるのは、その進化の過程で得た巨大に発展した脳により、事実の上に立つ崇高な「真理」、そして自己中心性を超えて自らに属さない他にまで影響範囲を広めた崇高な「愛」の描写と理解に関する力を得たことであろう。
如何なる道徳も、宗教も、哲学も、この「真理」と「愛」という二つの完全理想な原質に根本を求めていることに、疑いはないと思われる。
これらにより、初めに示した「絶対的自我の放棄と、自主性の獲得」が人間のみに為せる、と言われるのである。
二つの根本たる心の原質によってのみこそ、自我放棄と自主性獲得というトレードオフの関係を
よりよきバランスで成り立たせ、人間らしく生きることが可能となる。
しかし、現実には難しい、この「真理」と「愛」という二つの完全理想な原質は目にも見えず、形もないのだから日々確認するのは困難だ。
人間はいつの時代も、苦しみながらこの心の原質を求めながら、生きることに理想を描きながら生きているんだろうと思った。
実に単純だが、難問にいつの時代も人間は直面しながら、愛憎を繰り返して歴史をつむいでいる、
結局そういうことなんだと思った。
コップ半分の水をどう考えるか [日記]
メインの日記はmixiに戻したので、多分このブログを見る人は、一気に減るんだろうな~。
とか、思いつつ、逆にこのブログには少々コアな事を書いてみたりする♪
まぁ、自己満足だし。
「自分がどんな人間か」という問いに、自分で正確に答えるのはなかなか難しい。
自分が思う自分が、本当の自分ではなく、他人に照らしあわされた自分が本当の自分に近い、
とよく言われるけど、まさにその通りだと思う。
ただ、俺は自分に対して「肯定的か否定的か」と、問われれば間違いなく「否定的」と答えるし、
これだけは悲しいから的確な回答であると思う。
否定的といっても、あまりに悲観的過ぎて、無気力だったりすることはなくて、むしろ向上心は
比較的あるほうだと思っている。
何が否定的かというと、物事に関して最良の結果よりも最悪の結果に備えて構える、極端に現実的考え方をする、まず論理ありきで考えてダメなものはズバっと切り捨てる、状態のいかんによらず現状に不満を抱く。
こんな意味で、自分は極端な現実論者、否定的考え方を持っていると思っているわけだ。
今までは、これでいいんだと思っていた、こういう考え方をしていれば、大きな失敗はしにくい、現状への不満をバネにより自らを向上させられる。
いいじゃねーか。
でも、とある人との会話で、このような考え方に固執することは、間違っているんじゃないかと、
ふと思った。
俺はこういわれた、
「君が君の考え方で、それをばねにして向上しようとすること、大きな失敗をしないように備えること
それは悪いことではない。」
確かにそうだ。
続けて言われた。
「でも、こんな例えを考えてみれば良い。
水が半分注がれたコップがあるとしよう、君はそれを見て、
…たった半分しかない、不満だ急いで水を注いでいっぱいにしなければ…
というだろう、だけど、
…このコップには半分も水が入っている、ありがたいじゃないか、あと半分を満たせばいいんだ…
そんな考え方もあるんじゃないか?
現状を打開しよう、向上しようと考えるにしても、まったく違うものの見方があるんだよ。
君はどっちを選ぶんだ?」
なるほど、と思った。
今までは、自分を向上させる、現状を打開しようというためには俺は、徹底的な現状に対する不満を
もってバネにする、完璧な論理構成でストーリーを組み立て無駄を排除しながら物事をすすめる、
それこそが成功への道だと思っていた。
でも、違うんだな、現状の良い点を見つけて、現状に満足ではないにしろ、そこまで来た自分を
褒めてやったり、周りの人への感謝の気持ちをというのを持って、肯定的にステップを踏もうとする
考え方の方が素直だし、現状の打開には力を生むんじゃないかな。
「現状はこうでしかない、論理的に考えてこうしかならない。」、そんな考え方も時には必要だけど
「今はここまできてるんだから、難しいけど、次はこうしてみよう。」、そんな姿勢も必要じゃないか
第一そっちのほうが、何をやるにしても楽しいよ。
そんな風に思いました。
Invess ライブ@Pagoda 終了!!
パゴダ ライブ終了!
秋葉原パゴダでのINVESSライブが終了しました!多くのお客さんにお越し頂き、感謝感謝です(^^)
☆セットリスト
1. Take it easy
2. 遠く 遠く でも
3. The X
4. Game
5. Letter
6. U??
なんと言っても今回のライブの目玉は超美形で、パワフルかつ繊細なドラムを披露してくれた、
タッ君です。個人的に自身の演奏と歌唱は到底満足の行くレベルではありませんでしたが、
それを補って余りある、楽しさを彼とのコラボで味わえました。
Yossyとおツキさんのプレイも安定していて、非常に助けられました有難う。
しかし、MCはちと滑りすぎたなm(__)m。まぁ、俺のMCはいつも適当だから当たり外れが大きいの
も味さ~。 (すいません、いい訳です・・・。)
そんなこんなですが、ライブにおこしくださった皆さんの暖かい(??)眼差しに感謝!!!
明日からは、曲作りや、悪化しているボーカルの修正を行いながら、次回ライブの調整と
レコーディングだな♪
そしてホームページの更新もしなきゃ・・・。
やっぱ、ライブは良い、楽しい!
そして、ライブの後のビールもまた格別だ!!
早く次のライブやりて~♪
ってな訳で、明日は健康診断なのでもう寝ます。
明日はライブです。
あ~アホになったな。
最近は仕事で、前回の担当機種が終わって、少々開発ネタや次に回ってきそうな仕事の
基礎検討を自分なりにやってます。パテントもできるだけ書きたいな~。(少しでも小銭もらわんと)
ちなみに、俺、電子機器の設計してます。
で、こういう電子機器のハード設計で欠かせないのが、数学と物理・・・。
そういうわけで、いつ以来振りか、物理と数式につかり気味の日々ですが、自分がアホに
なっととつくづく感じる今日この頃です。
大学高校で覚えた、あの数式や計算方法は頭からすっからかん状態・・・。
インテグラル(こんなミミズみたいな奴⇒∫、三位一体で攻めてきたりもします⇒∫∫∫)
の計算はできないわ、微分方程式がまともに解けないわで・・・。
で、しょうがないので、PCに計算させてたりして・・・。
そのうち、分数の計算もできなくなったりして・・・。やばい (~o~;!!
あ~、電気技術者なのに・・・、アホになりすぎた、あ~ショック。
将来こんなんで食いつないでいけるのかな~少々自己嫌悪気味の毎日です。
技術者諸君、俺と同じ悩みを抱えてたりしませんか??
ライブ告知 10/1@PAGODA
我がバンド INVESSのライブ告知いたします。
前回7/23 新宿URGA以来、2ヶ月ぶりのライブです。
10月1日 (日) 秋葉原 PAGODA
開場16:30 開演17:00
出演: 19:30頃
前売\1,500 チケット購入希望の方は以下のメールアドレスまで!!
j-kuroda@u01.gate01.com
URL: http://www.will-company.jp/pagoda/top.htm
アクセス: 秋葉原駅(昭和通り出口)から徒歩約5分。
※バンドHP : http://hw001.gate01.com/j-kuroda/index.html
からも情報閲覧可能です。
ちなみに、今回から"INVESS"がバンド正式名称となりました。
新進気鋭のドラマー T. O.氏をサポートメンバーに迎えてのライブ!!
今回は、以前ナルコレプシー時代からお世話になってたライブハウスPagodaさんでのライブ!!
よりエキサイトしたライブをお楽しみください。
勿論、ライブの後は飲みます♪どなたでも参加OK!!
よろしくです。

孫悟空??べジータ??フリーザ??
なんか、夏休みが終わってから、疲れ気味です。
そのせいで、ブログに書いてたように、小難しいことばかり考えてる感じです。
ってなことで、口あけっぱで、漫画でもひたすら読んで、頭悪い時間をすごうそうと思い、昨日は
新宿で時間があったので、漫喫に入ってひたすら漫画を読みました。
ちなみに、普段は漫画というものをまったく読みません・・・。
昨日は、ガキの頃読んだドランゴンボールの「サイヤ人編」、「フリーザ編」を読破しました。
あ~やっぱり、フリーザ様のオカマキャラは強力です。
「ほっ、ほっ、ザーボンさん、ドドリアさん、・・・するんですよ~。」
あの口ぶり、ガキの頃はやったなぁ~。あの頃は俺小学生だったな~。
しかし、このドラゴンボールってアニメは、この指数関数的な戦闘能力値の増加といい、まったく
の中身のなさといい、ストーリーの単純さといい、ある意味凄い漫画だけど、それでもって、あれ
だけ一世を風靡した魅力があったてのは、凄いね~。ん~なんでだろうね、大人になった今読ん
でも、面白かった♪
この漫画で唯一の疑問といえば、孫悟空の最終戦闘能力値はいくつになったのか、ということ
です。何か最初のほうは、スカウターで2万とかでたら、すげーつぇーって思ってたけど、そのうち
普通に数十万とか百万とかでてきて、そのうち、戦闘値という言葉すら、消えてしまったような。
まぁ、「すげー気だ」って台詞は最後までのこってるんだろうけど、っていうか最後まで読んでない
ので知りません。
とりあえず、悟空の最終戦闘値を誰か教えてください。あと、クリリンに何で毛が生えてるのかと
いうことも。。。
次は、日本中の男子に「強敵」と書いて「とも」。。。
その言葉の深さを教えた「北斗の拳」を読みたいです。
あ~そういや昨日今日、携帯電話、ほとんど見てないな、連絡くださってる方すいません。
どうもメールって奴が最近億劫で・・・、明日連絡返します m(_ _ )m
生のあとに
昔の友人…友人というほど親一緒にいたとは言えないかも知れないし、彼が俺を覚えていたかどう
か定かではないし、自信もないが、そんな人が一昨日亡くなったということを聞いた。
兼ねてから、重病を患っているとは聞いていたけど、すぐに生死に関わるとまでは思っていなかった
・・・。こんな悲報を受けたときは、本当に驚いた、勿論悲しかったが、死というものがそんなに簡単
に人間を打つということに、改めて気づき、心底驚いた。
悲報を受けたときは、数分思考が停止したような気がした。
忙しさにかまけて、見舞いに行くことができなかった、「近々いこう」なんて考えていた自分が本当
に恥ずかしいし悔しい。
やはりこの世った人と一言でも二言でも良い、言葉を交わしておきたかった。
何をしゃべりたかったか? そんなことはまったく考え付かない、それでも何か言葉を交わしておき
たかった。
・・・彼が病床で、
やりたいと思っていること、考えていること、信じるもの、もし自分がこの世からいなくなったらと
考えること
・・・・
そんなたわいも無いことについて、病床で彼が思っていたことを知りたいと、何故だか思う。
死んだあと、人がどこに向かっていくのか、死の可能性を感じた人がどう感じるのか、神について
どう思うのか、神が彼にどんな感情を与えるのか、死後どんな世界が広がるか
俺は死が最終地点だとは思わない、人間には霊魂が存在すると思っている。
それは、空想でも、荒唐無稽な気体のようなものでもなく、命の生物の根源たる"核"であって、
高次元のレベルで言えばそれは物理的にも確実に存在しうる物質 = エネルギーだと思っている。
宗教ファンタジー的に描かれる、天使や悪魔、八百万の神などという霊魂は元からの存在で
はなく、人間の体を脱いだ真の姿であると思っている。
彼の死に際して、彼はどこに向かったのか、せめて死を感じた瞬間にどこに向かおうとしたのか、
若すぎる死を惜しむとともに、行き先を心底確かめたかった、そんなことが今の俺には心から悔や
まれる。





